ブログの更新は滞り始めると、とことん滞るようで。
新年はベトナム滞在ビサの都合でバンコクで迎えました。というとかっこ良く聞こえますが単に、ビサが切れて不法滞在になる前に脱出したわけで。
今はハノイに戻っていますが、ビサの問題は海外にいると避けがたく、かつ頭の痛い問題ですね。
上の写真は年越し直前に打ち上げられた花火の写真。街中で、しかもビルのすぐ近くで花火が炸裂する様子には、正直驚きました。日本ではあり得ませんね。
日本の文字はアジアでは人気があるようですね。上の写真はバンコクの交通システム BTS のラッピング広告ですが、こんな風に商品パッケージに日本の文字が使われているのを良く見ます。日本の文字をパッケージに配することで、商品価値が上がるんでしょう。東南アジアにおける日本の価値はまだまだ高いようです。
それはそうと、海の外から日本を眺めていると、最近のTPP、消費税、それに原発事故と放射能を巡る議論には「戦前の日本もこんなだったのだろう」と思わせるものがあります。
冷静な議論や科学的考察をおいてけぼりにして感情を先行させて物事が決まってゆく日本社会は、同じく冷静な考察や議論を置いてけぼりにして感情やプライドを先行させて悲惨な戦争に転げ落ちていった戦前から何も変わっていないような気がします。
「軍部主導で戦争の泥沼に陥った」というのが歴史の通説になっていますが、僕は最近の日本を見ていると、これは間違いではないかと思い始めました。あの当時も今と同じで、国民が戦争の泥沼に感情的に突き進んでいったのではないか?
1945年8月15日以降の日本は、軍部にすべての罪をかぶせ、国民は軍部の被害者であって無謬であるという共通認識を持って戦後のスタートを切ったのでしょうが、実際は戦争の泥沼へと、破滅へと突き進んでいったのは国民自らの選択だったのではないか?
敗戦は、その国民性が持つ問題点に直面し自ら改善する良い機会だったのに、軍と指導者の責任のみを追求することにより、その機会を逃してしまったのではないか?
そんな風に、最近の日本を眺めていると思えてきます。
いずれにしても、今年が皆様にとって実りの多い、より良いものとなりますように。